「嫌い、を素直に語ってみる」

 
 
 
(暗い内容注意)
 
 
 
 
ツイッターでとあるアカウントのとある呟きから得た情報に凄く心がざわついた。
具体的には小さな生き物の残酷な死に性的な興奮を覚えるというワードだ。
その人自身が殺める訳でない。アダルトビデオでそのような作品があり、それを視聴したら性的興奮が・・という話だ。(補足するとその方はそのような自分に対して罪悪感を覚えたらしい)
 
その性的興奮も、自分が殺している立場なのか・傍観者の立場なのか・小さな生き物なのか・はたまたそのようなカテゴライズを意識せずなのか、等でまた性的嗜好の種類も変わってくるのかもしれない。
だがそのようなことはひとまず置いておいて話を続けたい、私は明確にこれらの欲望に対して強い拒絶を感じた。オタク的に言わせてもらえば「超地雷」だ。
 
嫌いなものについて語るのって案外好きだ。 
 
好きなものって好きだからの一言で納得してしまう。どこが好きなの?と人に問いを投げかけても案外ありきたりな答えしか返ってこないことが多いから聞こうと思わないことが多い。
 
そんな私は本当は何がどう嫌いなのかの話を聞いてみたいのだがそれを気を害さずに細かく素直に話してくれるかは微妙なのでそれは誰にならとかじゃなく誰に対しても中々できるものではない。もちろん、その話をきいてそれを嫌いになることは目的でなく、偏った意見だということも含めて消化したいストーリーだ。
 
ところで、私ははっきり言えば聖人でない。むしろどちらかと言えば・・。
 
あらゆる口に出したらまずいことは出さなければセーフだと思っているし、利己的な思考も周りとの兼ね合いを考えて動けば直す必要が全くないと思っている。冗談が得意でないので中途半端に演じるくらいならとほとんど常にマジレスだし、額面通りに受け取って勘違いもよくするし、端的に言えばキレやすい馬鹿だし。
 
まあそういう感じで、私が考える世間のまともな人間性とは著しく乖離してるとは思う。定義とかは知らないし無いだろうけどこういうのが良いんだろうなっていう漠然とした空気感はあるやん。
 
・・とまあこれも置いておいて、小さな生き物の命を消費してのコンテンツって違和感がある。
 
極端に言えば私だって生まれて今まで、生き物の命を奪っていない日はないだろう。
主に自らの病気の予防・栄養補給などで沢山の命を消費している。
こういうふうに「いつ殺しているか」を考えてみると、それらと地雷の何が違うのか?が少しずつ見えてくる。
 
それは、「これは良い」「これは悪い」とかいう話でなく、
私は「性欲」というカテゴリをかなり下に見ていた、ということに気づいたのだ。そう考えないと、辻褄が合わない。
 
性欲の中の「一般的でないコンテンツ」に残酷に消費される生き物をどうしても擬人化し同情し、ヒトを批判してしまう。
 
性欲自体は生理的なものだし、愚かだとは思わない。だが、私はそこに(性欲の発散に)生き物の命を奪うという行為がパフォーマンス的に入ってくる事にゾッとするのだ。
観ていないから憶測になるが当然、監督・女優・男優・カメラマン等複数の人間の協力によって「作られ」そのビデオは「公開」されたという舞台裏も含めて。必要としている人間がいることも含めて。そのニュアンスでいえば、イジメやゲーム的にそのようなことが行われるのも言うまでもなく嫌いだ。
そうなるとヒトの快楽に対する消費、とでも言うのだろうか。少し矛盾しているようで、言葉でまとめるのは難しい。
 
しかし人は皆顔も考えも違う。だから、それは無いわ〜やめてくれと私が強く感じ他人の嗜好を批判するという感情も、ヒト全体から見れば不自然でない1つの言動であると言えると思う。
 
だからこんな変なブログ書いても許してちょ!!って感じだ。
 
あらかた嫌悪感の出所がわかったが、だからと言ってツイートした人に対して何か言おうとかは全く思わない。というか言いたくない。そのツイートの方は中々興味深い人なので今後も作品などを拝見させてもらうと思う。今回の件では【出来るだけ「地雷」を踏まないよう、今後も慎重にインターネットを利用せねば】と思うだけだ。
 
何々が好きだとか何々が嫌いだとか、それだけでもヒトの争いの種になりうる。1つの言動でも絶縁の決定打になりうる。私はこの地雷については今後も明確な拒絶をする。たまにはこれは無理と、でかい声でノーと叫んでやる。それで良いと思うのだ。
 
 
 
なんていうか、そういうふうな意見を言うことで自分の意思を肯定したい。せめて口に出すだけでも良い。嫌いという感情は、自分でもよくわからなくなるから。