「蛭子の論語」

突発的に、ブログを開設してみた。

 

肩肘張らずに、特にルールやノルマを決めないでマイペースに続けてみたいなあ。

 

とは思ったがブログって何書けばいいんだっけ。

 

日記みたいにするのも違う気がするし、だからといってオモシロ記事!みたいなのを書く才能も持ち合わせていないし。

 

んーまあとりあえず、蛭子の論語っていう本を今日読み終わったので、それの感想でも書こうかなと思う。

この本を購入したきっかけというのは、なんとなく立ち寄った書店の一角の平置きに目が止まったという本当にいたってシンプルなものである。蛭子さんの本は他にも置いてあった気がするけど、こっちを選んだ。

 

この本のタイトルのネーミングが、気になったのだと思う。

 

んで、意を決して読み始めた。

 

買ったのはいいもののなーんか小難しいカンジだったらしんどいな〜とか思ったけど、それは幸いにも杞憂だった。

蛭子さんの柔和かつ語りかけてくるような気さくな話し言葉は独特な魅力に満ち溢れていて、心に染み渡るモノがあった。ちょっとホロリとしたのは秘密だ。

 

それにしても、読みやすいなぁ〜。

すらすらすら〜っと読める。

 

その調子でスムーズにじっくり読み進めていると、ウンウンと共感するところやナルホドそうきたかあ〜ってところ、どっちもあったのだけど、意外にも蛭子さんの考えは本当に頷けることばかり。(失礼でしょうか)

 

その印象は、「考えに筋道が通っていて説得力があると感じた」からなのか、はたまた「自分に思考の色が似ている」からなのか。それは厳密には判断できず、わからないけれど、とにもかくにもなにいってんだこいつ!って感じは全くしませんでした。

 

ここでやっと本題に入ってみる。って言っても一からつらつら言ったらキリがないので一部だけにしておく。(自信がないからとも言う)

そもそも本題ってよくわからんけども。

 

まずひとつ。

蛭子さんがご近所さんとの印象の強かった思い出として、ご近所のお爺さんの話をしているページがある。

このお爺さんは、貧乏で一文無しの末に自殺をしてしまわれたらしいのだけど、亡くなる前日に、蛭子さんの家に「コートを売りに来た」という。

 

下記は、本文から切り取らせていただいた。

 

“人間というのは、そこまで追い詰められても、見栄やプライドが邪魔して、開き直ることができないんだって。それで結局は死ぬことになってしまうなんて……絶対に嫌だ、と感じたのかもしれない。”

これを読んでわたしも、絶対に嫌だ、と感じた。もうそれしか言えないし、十二分すぎるくらいに人間の脆さを表している一文だと思う。人間って、やわらかすぎる。

 

そして、この間に話そうと思ったものがあったのだけど、具体的にネタバレするだけでイミガナイしツマラナイだけでなく蛭子さんにも失礼かな〜と思うので割愛。気になったら読んでみてほしいしね!

 

それと、もうひとつだけとりあえず。

 

子曰く、過ちて改めず、是を過ちと謂う。

 

あーッ!好きなことわざのこれが、まさかこんな場面で出てくるとは思わなかったぁ!思いがけぬ再会に嬉しさが!っていうのはオーバーだけれど。

 

過ちってなんですか?って人にアンサーを出すなら、これが間違えなく模範解答だと思っている。心底っ。

 

少なくとも、この「答え」はその人に対してプラスの作用しかないはず。

甘ったるくて、本質を晒さず目隠しさせるようなのは、ちっとも愛情ではないと思っているから。

過ちたら改めないとダメよ!その過ちからは逃げられないのだよ。ってか、それこそが過ちなんだからね!っていう真理をついている。